■設立のきっかけ
01.決意
02.吉田松陰
03.松下村塾とは?
04.平成の松下村塾
05.物件さがし
06.JYHへ
07.信州へ
08.北海道へ
09.軽井沢へ
10.ペンションみつけた
11.資金繰り
12.ユースホステルは断念
13.購入
14.賃貸か?営業か?
15.開業
16.大赤字
17.倒産の悪夢
18.税理士を雇う
19.再びJYHへ
20.群馬県協会へ
21.ホームページ
22.営業
23.オーナー交代
24.高原へいらっしゃい
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決意
2000年1月1日。
親しい友人が
「切腹自殺する」
と叫びました。
大勢がそれをいさめ、切腹自殺するという友人と徹夜で語り合いました。そして私は、それをきっかけに月刊『風のたより』に「旅人的生活の方法(リンク−詳しくはこちらを
御覧ください)」というものを連載して、大勢の旅人たちから反響を得ました。
旅人的生活の方法(詳しくはこちらを御覧ください)
そして、「生きていくのが苦しい」といった手紙が、たくさん私に届くに至り私は、ついに会社を辞める決心しました。そしてホームレスになる決意をしました。仕事を辞め、捨てられている山野を買い取り、そこにハンドメイドの家を建て、宿泊施設(民宿)をかねた塾つくることにし、その塾を起点に世の中に問いかけをすることを決意しました。いわば平成の松下村塾を作ろうと思ったわけです。
ここで塾と書きますと、あたかも私が先生になりたがったのかと誤解されそうですが、そうではありません。幕末の志士である吉田松陰は、誰かを教えるために松下村塾を作ったのではなく、自らを磨くために松下村塾を開いたのです。入門希望者がいても弟子をとらず、共に己を磨こうと言いました。つまり私のめざしていた平成の松下村塾も、子供たちになにかを教えるという塾ではなくて、みんなで共に磨きあう塾をめざしていました。
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