■旅人の視点
1.耳をすませば
2.個性だった?
3.アットホームの理由
4.強者の論理
5.旅人になるということ
6.八対二の法則
7.居場所
8.心の故郷
9.何をみつけるか? |
耳をすませば 実は障害者には、2通りのタイプがあります。
外見から全く想像のつかない障害者。 そして見た目ですぐに分かる障害者です。
一般的に言って、前者が軽度の障害者、後者が重度である場合が多いのですが、あくまでも一般論です。見た目は超人のようにみえていても、かなりのハンデを背負っている例がありますから油断なりません。こんな抽象的な話をしたところで、ピンとこないという人があるかもしれませんから、私の話を少しだけしましょう。
「私は子供の頃、ほとんど耳が聞えなかった」
と言うと、半分は嘘で半分が本当です。右耳は聞えないのは本当です。しかし、左耳は少しは聞えていた。けれど、それは耳鳴りがしなかった場合の話で、病院で聴覚検査をすると決って耳鳴がしたために難聴に認定されました。
そういう訳で、私は一般教室で6年間の小学生生活をおくったのですが、それが良かったのか悪かったのか? 私は、そこで一般人と何ら変わらぬ生活をする術(すべ)を身につけていました。そして、中学・高校と全く普通の人間として成長しました。
転機がおとずれたのは、就職してからです。 何をやっても駄目。 怒鳴られて蹴られて、すぐにクビになってしまう。
「お前は、確かによく働く。しかし、人の話をきかない」 「・・・・」 「生返事ばかりで、ぜんぜん人の話を聞いてない。☆☆を持ってこいと言っても、ろくに確かめもせずに◇◇を持ってくる。こんなことで世の中通ると思ってるのか?」
口答えしたくとも答えられないジレンマ。耳が悪いと言った瞬間にクビになってしまうかもしれない。いや、そういう説明自体が通用しない。なぜ通用しないかを解説するのは、めんどうなので省きます。
何度か会社をクビになり、健康診断などで不採用が続き、このままではろくなところで雇ってもらえないと知った私は、夜の仕事をさがしました。何社か断られた上に、やっとありつけた仕事は、世界最大の魚河岸である築地市場でマグロなどの大物を扱う仲買店です。
その店のバイト料は、1981年の物価で時給1500円。当時としては想像を絶する高給だったのですが、明治生れの社長(旦那)が、とんでもない暴力男で、店員を容赦なく殴る蹴るクビにする。ですから、どんどん人が辞めていきます。そういう恐い社長(旦那)のいる店でした。
(注・築地では社長のことを旦那と言います)
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