■旅人の視点
1.耳をすませば
2.個性だった?
3.アットホームの理由
4.強者の論理
5.旅人になるということ
6.八対二の法則
7.居場所
8.心の故郷
9.何をみつけるか? |
個性だった? 旦那は、入社してすぐに私の正体が見破りました。
「佐藤、お前、つんぼか?」
「は・・・・はい・・・・」
「つんぼだって人並に飯を食いたいだろう? 俺はつんぼだから飯を半分、というわけにいかんだろう。ましてや体がでけえんだ、人よりよけいに食いたいはずだ」
「・・・・」
「食えばいい」
「・・・・」
「だが、食うためには、もっと堂々とせい。オドオドするな。はきはき返事しろ! 分からんことは分からんと言え。つんぼは、つんぼらしくしてみろ。俺はつんぼだって言ってみろ!」
「・・・・」
それっきり旦那は、私を二度と「佐藤」と呼んでくれなかった。
私を呼ぶときは「つんぼ」だった。
「お〜い、つんぼ!」
「この、つんぼ野郎が!」
これには、さすがの私も腹が立ちました。けれど、時がたつと意外なことに気がつきました。私が難聴であることが、あっと言う間に市場中に知れわたったのです。
築地市場は、三千軒の仲買がひしめき、狭い場内に10万人も働いています。みんな手鍵・包丁・解体刀などを持っており、難聴では危険なのですが、それがなんとかなるようになった。安全に仕事ができるようになった。
旦那は、暴力もふるった。最初は腹がたったが、1年もたつと暴力は演技であることがわかってきました。旦那は、ヒール(悪役)を演じていたのです。おかげで回りの人が、いろいろ気遣ってくれるようになりました。私の失敗をまわりがホローしてくれるようになったのです。
難聴の人間は、ボーッとしてるように見え、一見バカに見えます。そのために入社したての頃は、みんなから、かなりバカ扱いされたものですが、毎日のように旦那に殴られていると、よほど我慢強い人間と感心してくれるのか、高給で引抜きたいと言ってくれる人もでてきました。こうなると、昔どこにも雇ってもらえなかった自分が嘘に思えてくるから不思議です。これもすべて明治生れの旦那のおかげだと思いました。
ある日、旦那は言いました。
「オドオドすんな。お前は、自分を生かして、人様より上物を落としてこい」
「え、落とすって?」
「今日からおまえは番頭だ」
「だ、旦那・・・・」
「いいか、人様に迷惑をかけることをおそれるなよ」
「ハイ」
「怒鳴られても、こずかれても、聞こえん時は聞えんと言えよ」
「ハイ!」
この時の体験は、私の人生を決定したと言ってもいいです。旦那の考え方、旦那の生きざまに私は心服してしまった。旦那は、弱点をさらけだして生きろという。自信をもてという。
旦那は、私に包丁の使い方を教えてくれました。私は高価な商品を次々と駄目にしましたが、旦那は絶対に怒りませんでした。旦那が怒る時は、危険な行為につながる基本の無視をした時だけでした。旦那は、暴力には1本の筋が通っていたのです。
いつだったか、築地見学に来ていた立派な紳士が、「つんぼ」が差別用語であると旦那に向って怒鳴ったことがありまし。私は「てめーに何が分かるってんだい!」と怒鳴りかえしましたが、旦那は私を制し、礼をつくして頭を下げ、立派な紳士に謝っていました。私には、差別用語を叫ぶ奴より、旦那の方が、ずっと紳士に見えました。
それかの私の人生は 180度変ってしまいました。ハンデだったと思っていたものが、個性だということに気がついたのです。それだけのことに気がついただけで私の人生は激変しました。
私は、自分の個性(難聴)を最大限に生かす人生を見つけはじめました。例えば、旅に出ても、海外旅行にでても、方言や現地語(外国語)が分からなくても、なんとかなってしまうという特技があることに気がついて、それを生かして人生をエンジョイするようになったのです。 |