みなさん、いよいよ、ひな祭りです!
このひな祭のルーツを調べますと、中国にあるようです。 古代中国では昔3月3日に水辺にて身を清め、穢れを祓う習慣がありました。それが日本にも伝わつたものが、ひな祭りになったそうです。
奈良時代から平安時代にかけ、宮中、貴族の邸宅では、桃の節句に、杯を水の流れに浮かべて穢れ儀式としておこなわれました。
源氏物語、須磨の巻にある千年ぐらい前のお話しに出てくる行事で、光源氏が海辺に出て陰陽師(占い師)により祓いをし、紙を切って人の形に作り、人形(ひとかた)、形代(かたしろ)と呼ばれれます。その紙で体中をなでて、病気やけがれをこの紙の人形に移して、船に人形を載せて他界に流したとされています。
ひな祭といえば、ひな人形ですが、その大半は、埼玉県岩槻で造られています。私は、その岩槻の人形博物館に、大勢の友人たちと見学に行ったことがあります。この写真は、その時のものです。
その時は愉快な館長さんが、楽しい説明をしてくれました。
ちなみに岩槻周辺は昔から桐の産地で、当時、箪笥や下駄などの桐細工が盛んで、桐の粉が大量に出ました。この桐の粉をしょうふ糊で練り固めると、とても発色の良い人形ができあがります。また良質な水にも恵まれ、胡粉(ごふん)を溶くのに最適でした。胡粉とはひな人形等の顔・手足に塗る白い塗料の事で、荒川で採れる貝類を砕いた粉が原料です。桐の粉と岩槻の水とで作られた桐塑(とうそ)人形は丈夫で壊れにくく、土の人形よりもきめ細かく仕上がります。それに気づいたのが、日光東照宮の造営や修築に当たっていた京都の工匠でした。工匠たちは人形作りに適した岩槻に留まり、1615年頃から雛の節句に向く調度品を作り始めました。
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