温泉・癒し
静かなあかり
キャンドルの小さな明かりが好きで、ブルーベリーでも時々ロウソクをともします。 先日、キャンドルよりも小さな光の明かりを作りました。 火がついているのは、一つはガラス、一つは陶器でできたトンボ玉です。
ちょっと不思議な光景ですが、原理は行灯やアルコールランプと一緒。 使っている燃料はサラダ油で、燃えている芯はティッシュペーパーなのです。 不思議なことに、ティッシュは先端だけしか燃えず、火はずっと消えません。
作り方は意外と簡単なので、ちょっと紹介しましょう。
用意するものは、 ・ティッシュペーパー ・油を入れる容器(お皿など) ・トンボ玉(大きいビーズでもいいかもしれません) ・サラダ油
ティッシュペーパーを手で裂き、こよりを作ってトンボ玉の穴に通します。 上は2.3ミリ出るくらい、下は1センチ出るくらいにティッシュを切ります。 これが、ロウソクの芯にあたる部分です。
テッシュを長めに裂き、こよりを作って、トンボ玉が乗るくらいの輪っかを作ります。これは、トンボ玉が倒れないような支えの役割と、お皿とトンボ玉の間に隙間をつくる役割をします。トンボ玉と皿の間に隙間がないと、ティッシュから油が吸い上げられないのです。
皿においた輪っかの上に短い芯を上にしてトンボ玉を置きます。 下の芯が輪っかにかかって安定が悪いようでしたら、もう少し芯を短く切って、輪っかの中に芯が収まるようにしてください。
サラダ油をお皿にそそぎます。(大さじ1杯で2時間半くらい燃えます) テッシュが油を吸い上げるまで少し待って、火をつけましょう。
お皿や、トンボ玉の柄で、雰囲気がいろいろ変わります。 下の写真の鉄の台は、電気がないところの国で、燭台として使われていたもののデザインを復元したものだそうです。 持ち運べるように取手がついていますね。
時には、小さな明かりで、ぼんやり過ごす春の夜もいいものです。
水澤観音の効く厄除け
昨日、群馬県伊香保にある水澤観音に行ってきました。 私は今年、後厄(厄年の後の年)なのです。 去年は、自分が厄年ということに気がつかずお正月は厄除けに行きませんでした。 が、ちょっと行き詰まっていた4月頃、ふとインターネットで調べてみると、本厄(前厄・本厄・後厄の中で、メインの年)ではないですか。 何かのきっかけになれば、と思って水澤観音に厄除けに行き、お坊さんにマンツーマンでお祓いをしてもらいました。 そのかいあってか、昨年は、ティンカーベルも無事に売れ、病気もせずに元気に過ごすことができました。
そういうこともあって、私にとっての水澤観音は、 「何だか効く」 というイメージなのです。
普段は、困ったときと、捜し物が見つからない時のみ信心深いという都合の良い私です。 捜し物が見つからない時は、 「ないないの神様●●を見つけてください〜」と、お願いすると、見つかりますよ。ちゃんと探した場合に限りますが。
今回は、20人ほどの人が一緒にご祈祷をしてもらいました。 厄除けや、合格祈願、方位除けなどの祈祷をお願いすると、本堂の中で、火を焚きながらお祈りしてくれるのです。 本堂の中という別空間にいると、金色の観音様のご威光か、おごそかな気持になりますね。 浅黄色の法衣を来たお坊さん達がやってくると、さらに私のおごそか感は高まりました。
しかし、私の隣であぐらをかいていたおじさんが、その静寂を破り、お坊さんに言いました。 「あのー、ストーブ消えちゃったんですけど」
お坊さんにストーブチェックをさせるなんて! お坊さんはこれから、民衆の願いを申し上げる為に、観音様と通信をするというのに、ストーブのつきが悪いなんて生活感のあることをさせちゃいかんのではないか? と、私が心の中で叫んでいる中、心の広いお坊さんは、ストーブをつけてくれたのでした。
さて、ご祈祷が始まります。 お正月のせいか、願い事の件数が多かったせいか、6人ものお坊さんが火を囲みながらお経を読んでくださいました。 太鼓の音、透き通る鐘の音、お経の合唱、力強い音楽を聞いているようで、圧倒されました。 お坊さんの唱える「キリキリバサラ」という呪文も、なんだかこの世のものではないように聞こえます。
お坊さんの背中越しに、炎が見えます。 火は、赤く細く長い糸となって天井に伸びていきます。 薄暗い空間に伸びて行く火が、流れ星のようにも、彼岸花のめしべのようにも見えます。
夢を見ていたような時間が終わると、参拝者に一本づつ木を割った物が渡され、順番に火にくべて願い事をします。 私の隣のストーブおじさんも、熱心にお祈りをしていたので、きっとおじさんにもいいことがあるでしょう。
帰り道にひいたおみくじは吉。 美容院で呼んだ女性週刊誌に、2009年は水瓶座の年! と書いてあったことも手伝って、 「今年はいいこと起こりそう」 と、自然に顔がゆるんでくるのでした。
草津ねこ
台風一過の晴れ間の中、久しぶりに草津に行ってきました。 草津は車を置いて、路地裏を歩くのが楽しいのです。毛細血管のように細くて曲がりくねった道が、湯畑を中心に至るところにあります。 古びた公衆浴場に立ち寄ったり、小さな飲み屋の入り口に、貝塚のようにホタテの貝殻が積んであるのは、何のおまじないかと思いながら歩くのも、また風情がありますね。 あてもなく歩いているうちに、最近立て替えた公衆浴場「地蔵の湯」の前に出て来ました。
入ってみると、着替える場所の1メートル先がもう湯船です。 ふらっと入って、さっさと着替えて、あちっと入って、出てくるまで約5分。 駅のキオスクで牛乳を一気飲みするような簡潔さと爽快感。 粋な町です。
私は細くて曲がりくねった道にぐっとくる人間ですが、新緑の季節ともなると、四方八方から柔らかい葉が伸びていて、とても気持ちがいいのです。 そして、曲がりくねった小道には、猫が似合います。 北軽井沢は冬が寒すぎるせいなのか、民家が少ないせいか、あまり野良猫を見かけません。けれど、草津は野良猫が生きられる環境のようで、ときどき野良猫の姿をみかけます。 おまけに、今日は、台風一過の雨上がりです。 動物写真家の岩合光昭さんによると、猫も雨が上がるのを待って出てくるのだそうで、猫写真を撮るには、雨上がりがねらい目らしい。
視界を横切るものを目で追っていったら、二匹の猫がいました。 新緑の緑と、つつじの鮮やかさと、野良がかった猫の姿が絵のようで、私はカメラを構えました。 すると後ろから、
「えっ、何? タヌキなのっ? あんた、タヌキ撮ってる?!」
と言うおばちゃんの声が。
「いえ、太った猫です」
と言ったら、
「いやー、あんましでっかいから、タヌキだと思っちゃった!」
こういうおばちゃんに出会えるのも、草津の味わいでありましょう。
マイナス8度の男達
本日、私は朝の4時半にこそこそと起き出して身支度をはじめました。 ダウンジャケットの上には雨合羽。 下には、現金書留の封の部分のような何重もの重ね着。 足には長靴。 手には手袋。 外気にさらされている部分は、目深にかぶった帽子から、かろうじて出ている目玉くらいのものです。 ビニール袋に入ったカメラを持った私の姿は、着込みすぎの強盗。
私達3人の乗った車は、さびれた温泉街に入ってゆきました。 細く、曲がりくねった道の端に車を駐め、マイナス8度の静寂の中を歩いてゆきます。
すると、遠くから人の叫び声が聞こえました。 急がなければ・・・。 私達の足が速まります。
近づくにつれ、叫び声は男達のうなり声に変わりました。
「ウォーッ!!」 「イァーッ!!」
言語化困難な大声に導かれて、私達はかがり火の焚かれた舞台に到達しました。 そこでは、神主さんと、巫女さんが、玉串の奉納をしているところでした。
今日は、川原湯温泉の「湯かけ祭り」が行われるのです。 舞台の真下からは、牢獄につながれた猛獣のような雄叫びが、湯煙と共にわき上がっています。
そして、舞台の上には、ふんどし一つの男性が3人。 1月20日の大寒の朝5時といえば、一年で一番寒い時期の一番寒い時間なわけです。 その中で、ほぼ素っ裸で身動きもせず立っている男達。 私に負けず劣らず強盗風な服装をした観客達が、彼らを尊敬のまなざしで見つめます。
赤ふんどしの背の高い男性は赤組の大将。 白ふんどしの男性は白組の大将。 紫ふんどしのがっちりした体格の男性は総大将です。 ふんどしに縫い取られた「総大将」の文字が金色に輝いています。 彼らは、大きな木の桶を持つと、お湯を奉納するために、舞台を後にしました。
すると、地下牢の猛獣達が姿を現しました。二、三十人もの男達が雄叫びを上げながら総大将に続きます。 よく聞くと彼らは
「お祝いだー!!」
と、言っているのでした。 川原湯温泉は、昔、お湯が出なくなったときに、鶏が鳴いて卵を産んだところを掘ってみたら、再び温泉が湧き出てきたという伝説があります。 それにちなんで、
お湯が湧いた→おゆわいた→お祝いだ
の、かけ声になったのだそうです。 ふいに、オレンジ色の物体が、頭上をかすめました。 その隕石のような物体は湯気をあげて空中を飛び交っています。
「いてっ」
私の頭に激突した物体は、みかんでした。 温泉につけたみかんを、縁起物としてお客さんに投げているのです。 「冷凍みかん」なら新幹線のホームで時々見かけるけれど、「温泉みかん」があるのは、川原湯温泉くらいのものでしょう。 みかんと日本酒と、なぜかコンニャクゼリーが配られると、赤組、白組の男達が戻ってきました。
「湯かけ」のはじまりです。 「湯かけ」は、2箇所の源泉からそれぞれの木桶に汲んだお湯を、相手の男達と観客にぶちまけるのです。 会場となる王湯の前の道路は、細い一本道なので、逃げ場もありません。ここでは、観客もずぶ濡れ覚悟です。 テレビカメラも、ビニール袋とレインコートで武装しているものの、全身くまなくお湯まみれです。 取材されていた俳優さんも、真っ正面からお湯を浴びていました。 道端の赤いポストも、今日はふんどしとハチマキを巻かれてお祭り仕様です。
湯かけの参加者には、小さい子供も、今風のおにいちゃんも、おじさんも、様々な世代がいます。 手練れのおっちゃんの湯かけは、実に見事で、放射状にはなったお湯はもうもうと白い湯気をあげながら、観客の上にまんべんなく降り注ぎます。 小さい男の子達もおじさんに
「気合い入ってるかー!」 「おぅ、もっと声だせー」
などと言われながら一生懸命、お湯をかけています。
川原湯の子供達はこうやって男になるのだな、と、頼もしくなりました。 寒くて大変そう、と思いきや、湯かけの男達はみんな楽しそうです。 銭湯でのお湯のかけ合いっこを、町全体でしているようで、おじさんも、お兄さんもいたずらっ子の笑顔になっています。 そんな彼らと一緒にお湯をかけられると、私達も、なんだか楽しくなってくるのです。
2箇所の源泉のお湯を、汲みつくした頃、空は漆黒から群青に変わり、明け方が近づいてきました。 赤組、白組の男達が全員、湯おけを持って中央に集まってきます。
男達の頭上には、赤と白のくす玉がぶら下がっています。
「いくぞー!」
総大将のかけ声と共に、くす玉に向かって一斉にお湯がかけられました。
ぼわん、と大きな湯気が立ち上ります。
「ケーッケッケッケ」
湯気の中から聞こえる甲高い声。 煙の中から突き出された手の中には、目を白黒させたニワトリがいました。
お祭りが始まる前からぶら下がっていたくす玉の中には、生きたニワトリが入っていたのです。 落ちてきたニワトリを、先に捕まえた組が勝ち、というのが湯かけのルールなのでした。 手の中でコケコケ泣いていた二羽のニワトリは、舞台上のカゴに入れられると、おとなしくなりました。
それにしても、あんな狭いくす玉の中で、よく鳴きもせずに我慢していたものです。 ニワトリもえらいですが、それを素手で(おまけに裸で)捕まえた男達もえらい。 ニワトリはなかなか凶暴な鳥で、つっつきの破壊力はかなりのものです。私は逃げたニワトリの捕獲を手伝ったことがありますが、かなり手強い相手でした。
最後の締めは、総大将のかけ声で、
「お祝いだー!!」
の三本締めです。 総大将、かっこよすぎでした。 確か、3年連続で総大将をつとめている人なのですが、何しろふんどし姿しか見たことがないので、もし、どこかで会っても気がつかないでしょうね。
一年に一度しか会えないなんて・・・。 遠い目になる私でした。
川原湯温泉の人達は、一年に一度、お父さんや息子の勇姿を見ているのでしょう。 そういう家庭はどんなことがあっても、力を合わせてがんばってゆけるのではないかという気がします。
川原湯温泉は、現在、ダムを造る計画が進行中です。 数年後には、この情緒あふれる温泉街も水に沈んでしまいます。 数十年にわたる反対運動や、様々な思惑に翻弄され、廃業する温泉宿や店も出て来ました。 それを寂しく感じていたのですが、湯かけ祭りでは、川原湯温泉の人達の底力と団結力を、肌で感じました。
あたたかい甘酒をいただきながら上着を見ると、レインコートについたお湯の粒が、氷になっています。
後、何回湯かけ祭りを見られるだろう? この温泉街が昔話になったとしても、川原湯の子供達は、自分たちのお祭りを忘れないだろうなと思ったのでした。
光と闇のクリスマス
今年のクリスマスはどんな風に過ごしましたか? 軽井沢では、毎年クリスマスの時期に、ウィンターフェスティパルが行われます。 教会、喫茶店、駅など、様々な所でイルミネーションを灯し、クリスマスをお祝いするのです。 この時期は、ブルーベリーのお客さんと一緒に、夜のイルミネーションツアーに出かけます。
軽井沢のクリスマスといえば、まず「恵みシャレー」です。 教会が主催しているだけあって、クリスマスは、キリストのお祝い、ということを思い出させてくれます。
車から降りると、動くトナカイ達や、スノーマン達が出迎えてくれました。 軽井沢の夜は、ネオンの光りがないだけに漆黒の闇です。 その中で、キリストの誕生を模った人形が、オレンジ色や、緑のイルミネーションの中で、幻想的な光を放っています。 クリスマスと言えば、日本ではツリーやリースが一般的ですが、ドイツでは、キリストの生誕を現した大がかりな飾り物が多く、それによって子供達がキリスト教を自然に学べるようになっているそうです。
雪の早かった今年の軽井沢は、ホワイトクリスマスになりました。 ふわふわと舞い落ちる雪をじっと見ると、一つ一つがちゃんと、ツリーの飾りの形をしているのです。 こんな繊細なものが、空からたくさん降ってくるなんて、何だか魔術的な気がします。
ホールから、クリスマスソングが聞こえてきました。
「ホワイトクリスマス」
私は今までこの歌を、12月のデパートの中や、テレビでしか聞いたことがありませんでした。 けれども、一年で一番夜が長くて寒い冬至の頃、雪の中でこの曲を聴いた時、この曲を初めて聴いたような気がしたのです。 耳から入ってきたこの歌は、体に入って温かく広がりました。
音も、温度を持っているのではないでしょうか。 「ホワイトクリスマス」 は、熱いというより、遠赤外線のように内側から温める音楽なのだと思います。
恵みシャレーの中に入ると、シナモンとリンゴの香りがする紅茶を配っていました。 公共の場で配るものといえば、大体甘酒や、日本酒ですが、さすがは軽井沢。配るものもおしゃれです。
紅茶と音楽で温まった私達は、旧軽井沢のロータリーへ移動しました。 ここには軽井沢の町を模ったミニチュアの町と大きなツリーがあるのです。 運がいい事に、ツリーの前にはサンタクロースがいました! 手を振ると、 「メリークリスマス!」 と、声を掛けてくれます。 サンタさんにそう言ってもらえると、なんだか縁起がいいような気がするのですよね。
「一緒に撮ってもらえますか?」 ツリーの前でサンタさんと一緒に記念撮影です。
サンタさんの、世を忍ぶ仮の姿は、軽井沢にある日本語学校の生徒だそうです。本来の姿でお会いできて幸運でした。 サンタさんのお供は、トナカイではなくて、台湾からやってきた妖精さんが二人。
そういえば、サンタの橇を牽くトナカイは、9頭いて、それぞれにちゃんと名前がついているそうです。
ダッシャー、ダンサー、プランサー、ビクセン、コメット、キューピッド、ダンダー、ブリッツェン
初めは、この8頭だったのですが、 「赤鼻のトナカイ」の大ヒットにより、9頭になったのです。
赤鼻のトナカイ「ルドルフ」は、サンタ達を見送る群衆にいたところ、サンタに、 「君、ちょっと我が社で働いてみない?」 と、スカウトされたそうです。
赤鼻がライトの代わりになる、という理由があるにせよ、いきなりチームの先頭ですよ。 他のトナカイ達の嫉妬はなかったのでしょうか? その後、いざこざもストライキもなく、仲良く走っているところを見ると、サンタクロースは、よほど人望のある人だったのでしょうね。
そして、私達の車は軽井沢で一番大きなツリーのある矢ヶ崎公園へ。 大きな池にかかっている橋にも、サンタやトナカイなどのライトアップがされています。 ジャングルジムには大きなリボンがかけられ、巨大なプレゼントに変身していました。 青い光で縁取られたツリーは、大小の金銀のボールでシンプルに飾り付けられています。 近づくと、視界が色とりどりの光で覆われて、現実のものではないような感じです。 昔、絵本で見た、マッチ売りの少女の前に浮かび上がったクリスマスの風景を思い出しました。
ツリーの大きさから言えば、ディズニーシーで見たツリーの方が大きくて、飾りも派手でしたが、私には、青い光りに包まれた軽井沢のツリーの方が、何十倍もきれいに見えました。 何が違うのだろうと思って空を見上げると、背後には大きな闇がありました。全てを吸い込みそうな深い闇に、砂粒のような星が光っています。
都会には、豪華なツリーや、目を奪われるディスプレイや、選びきれないほどたくさんのケーキがあふれています。 けれども都会には自分の指先が見えなくなるような夜の闇も、雪の結晶が肌に触れる、やわらかくて冷たい感触もありません。
闇があれば、一本のロウソクでも明るく、しんしんと降る雪の中では、分け合って飲む紅茶でも温かいのです。 悪人が善人のすばらしさを引き立てているように、軽井沢のクリスマスを美しく彩っていたのは、闇や、夜や、雪だったのだと思いました。 軽井沢のクリスマスは、お祝いの気分と同時に、静かな気持ちを運んできてくれました。
タイムスリップ四万温泉
「世のちり洗う四万温泉」
群馬県に古くから伝わる郷土カルタ、「上毛カルタの」「よ」の札には、四万温泉が読み込まれている。郷土カルタの普及率が全国一の群馬県では、小学生は全員このカルタを暗記する定めになっている。
その中でも「よ」のカードは男子生徒に人気だった。なぜなら、この絵札には、入浴中の女性の絵が描かれていたからだ。かなりぼんやりとした、お姉さんだかおばちゃんだか、判別のつかない微妙なヌードではあったが、そこは小学生、こんな絵札でもドキドキしていたらしい。 「よ」だけは取ってやるぞ、と密かに意気込む男子生徒は多かった。
「 そんな小学生の妄想を刺激してやまない四万温泉に、初めて行くことになった。 まずはカツ丼で腹ごしらえをしてから、路地裏をそぞろ歩く。少し歩けば終わってしまうような小さな路地裏だが、射的屋さんや、スマートボールの店など、なんだか懐かしい風景があった。
私たちは、スマートボールのお店へ入ってみた。額にキズのあるスキンヘッドのおじさんが、無表情でガラス玉をはじいているのが、場末のムードを盛り上げていた。 スマートボールというのは、ガラス玉をはじいて釘の打ってある台の上をころがし、穴に入れると球が出てくる、という子供のパチンコみたいな遊びである。
「いらっしゃい! ここ、空いてるよ。荷物はこの上にのせて!」 昔の芸者風の威勢のいいおばさんは、段ボールをつぶした物を床に敷いて、荷物置き場を作ってくれた。300円を払い、台に付くと、ビー玉大のガラス玉をガラガラと流し込んでくれる。
スマートボールなんて子供の遊びだろう、と甘く見ていたのだが、これが、予想外に楽しいのだ。もう少しで入りそうなのに入らない。けれど時々はちゃんと入ってくれるのが嬉しい。何しろ、球が大きいので、出方も派手なのだ。同行のフクシマさんは、 「このじゃらじゃら感がたまらないのよね」 と目を輝かせている。
私たちが呼び水となったのか、次々とお客さんが入ってきて、狭い店内は満員となった。
スマートボールに興じる人たちを見ていると、こういうものは性格が出るなぁ、と思う。 じゃらじゃら出しておきながら、ポーカーフェイスで淡々と球をはじく人や、 「この台は、こういう釘の打ち方だから入りにくいんだ」 など、各々の台の違いを詳しく観察している人、球がつきてしまった隣の人にそっと球を差し入れしてあげる心優しい人。 私は、「おっ」とか、「くっ」とか、短い感嘆符を発しながら楽しませてもらった。300円でけっこう遊べるのだ。同行のサトウさんは、最後にかっぱえびせんの景品までもらっていた。
しかし、この爽快感は何だろう? 普段パチンコや競馬とは縁のない生活をしているだけに、こういう遊びは新鮮に感じた。 スマートボールをしている間は我を忘れる。無我の境地、悟りの境地である。ま、煩悩の固まりとも言うが。その日常から離脱している感じがなかなか心地よい。 普段は結婚後もパチンコにはまり続けている友人を冷たい目で見ていた私だが、自分にもその素質はあるのかもしれない・・・。
スマートボールでお腹もこなし、私たちが次に向ったのは「積善館」だった。
ここは、日本で一番古い湯屋で、約300年前から続いている温泉旅館だ。その建物の古さ、美しさによって、国や県の文化財にも指定されている。
積善館の大きな特徴は、「千と千尋の神隠し」に出てくるお湯屋にそっくりなことだ。赤い欄干のある橋が川にかかり、その奥が、三階建ての本館である。ガラス窓に写る風景がゆがんでいるのも、手作りのガラスの風情を漂わせていて実にレトロチックだ。
受付のじいさんまでもが、いいかんじに古い。
靴をスリッパに履き替えて進むと、部屋や調度品を見学できるようになっている。 歴代の女将が使った鼈甲の櫛や、鶴が浮き彫りになっているかんざし。古ぼけて見えるがきっと高価な物に違いない。私が以前勤めていた眼鏡屋で、一番高いフレームは、鼈甲のものだった。扱いも難しく、高価な物なのだ。
きっとこういう旅館の女将というのは、生き神様のように、代々、四万温泉街に君臨してきたのではないだろうか。外来入浴、1000円ナリでお湯屋に入れてもらった一般庶民には、残念ながら、女将のお姿を拝見する機会は訪れなかった。
障子の木枠や、太い梁、大きなノッポの古時計などに年期と威厳が感じられる。 それらを見学した後、とうとうお目当ての温泉に入ることになった。
スリッパを脱ぎ、ドアを開けて驚いた。そこはいきなり浴槽だったのである。
普通は浴槽の前には脱衣所というものがある。それは、オードブルをいただいてからメインをいただくように当たり前のことである。ところが、ここでは、いきなり牛ステーキが出て来てしまったのである。 よくよく見たら、入り口付近に、脱衣カゴがおいてあった。この一段高くなっているスペースで服を脱いで入るらしい。
湯船もまた変わっていた。四角く区切られた浴槽が5つ、並んでいる。 最近の温泉施設などだったら、中央に大きな浴槽を作って、周りにちょっと代わったお風呂を2つ3つ配置する所が多いが、ここはほぼ同じサイズのものが5つ、おでんのしきりのように並んでいるのである。
窓はこれまたレトロチックな半円の窓でちょっとハイカラな雰囲気。そしてなぜか壁の片隅に、水槽が埋め込んである。ミニ「魚の泳ぐ千石風呂」になっているのだ。 ちょっと不思議な感じだが、何しろ300年前からあるのだ。こちらの方が由緒正しい温泉の姿なのかもしれない。
中でも一番の不思議施設は、蒸し風呂だった。壁に、これまた半円のドアが二つ、並んでいるのだが、それが、人の背丈の半分ほどしかない。なんとなく不思議の国のアリスに出てくる扉のよう。そこには「蒸し風呂」と書いてある。つまり、サウナか。
しかし、サウナ前の注意書きには、部屋の中に一杯の水を流せとか、水を汲んで持ってゆき、それで顔を冷やせとか書いてある。外からは中の様子が全くうかがい知れない構造になっているせいか、その得体の知れない施設には誰も入ろうとはしなかった。
何事も、払った分の元は取ろう、が信条の私は、勇気をふりしぼってそのドアに立ち向かった。途端に、その場、全員の視線が集まる。その小さいドアを開けると、押し入れの下段ほどの小さなスペースがあり、横になれるように斜めの段がしつらえてあった。蒸し風呂というだけあって、確かに空気はむっと熱い。
しかし、その薄暗いタイル張りの部屋は、まるで喧嘩騒ぎを起こした囚人が入れられる監禁部屋のようであった。 私はこういう狭くてじめっとした所に裸でいるというシチュエーションは苦手だ。 おそるおそる体を横たえると顔から数十センチの所に天井があり、顔の横には外界との唯一の接点である小窓があった。
これで高温だったら、人間オーブンだ。宮沢賢治の「注文の多い料理店」の話を思い出す。そういえば、この蒸し風呂にも、いろいろ注文が書いてあった気がする。さすがに塩を塗れとは書いてなかったが・・・。
かなり硬直したまま、約1分が過ぎた。 もう、限界だ。
蒸し風呂から這い出す。心なしか、おでん状態で湯船につかっている人達の視線に、尊敬のまなざしを感じる。
この蒸し風呂体験も、2通りの反応があるようだった。私のように閉所恐怖症のような恐れを感じてしまう人と、狭さが逆に落ち着く、という人。落ち着き派の人は、きっと電車や、宴会の席では端に座るタイプに違いない。
きれいさとか、快適度はイマイチでも300年という歴史が人を黙らせる。ここは、体験する文化財なのだな、とつくづく感じた四万温泉体験だった。
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