北軽井沢ブルーベリーYGHユースホステル マネージャー日記

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北軽井沢日記1

北軽井沢大学1


 以前、谷川俊太郎さんと岸田今日子さんの講演会と詩の朗読会が、北軽井沢でありました。お二人共、幼少期から北軽井沢の別荘に通っていて、昔の北軽井沢のお話に花が咲きました。昭和37年まで、軽井沢ー草津間を草軽鉄道という電車が走っていて、北軽井沢は昔の駅名でした。当時はアメリカのオープンカーがタクシーとして北軽井沢を走っていたそうです。そして、三島由紀夫さんと馬に乗って軽井沢まで行った話など、古き良き時代を思わせる話がたくさん聞けました。

北軽井沢大学

 詩人の谷川俊太郎さんです。小柄な方で、とても落ち着いた良い声の方でした。印象深かったのは、学生時代、友人と夜行電車に乗ったときの話です。その電車は、揺れる度に「ぎしぎし」ときしむ音がしていました。それを聞いて、「あれはきっと古い長靴が電車の天井にたくさんつまっているんだ」と話し合ったそうです。その感性は、さすが詩人だなぁ、と感心させられました。

 ムーミンの声でもおなじみの女優、岸田今日子さんです。岸田さんは、声も雰囲気も、とても可愛らしい方でした。こういう風に年をとりたいなぁ、と憧れてしまいます。お父さんは劇作家の岸田国雄さん。お姉さんは童話作家の岸田衿子さんです。新しいことが好きなお父さんが羊を飼っていた話や、衿子さんと書いた「ふたりの山小屋だより」の話など、私の知らなかった北軽井沢の真の姿をかいま見ることができたように感じました。


北軽井沢大学2

 地元の人たち、別荘の人たちが100人近く集まっていたのではないでしょうか? 講演会の最後には、質問がたくさん飛び交いました。「詩はどうして難しいのですか?」という中学生の質問に、谷川さんは、「感じたままでいいんだよ」と答えていました。北軽井沢大学では、毎年何回か講演会や講座をするそうで、昔、たくさんの文人達が集まっていた大学村の雰囲気はまだ引き継がれている様でした。


栗原

 講演の合間にも、後ろから流れてくる香ばしい匂いが気になっていたのですが、なんと、地元婦人会の方々が、地元で採れた山菜の天ぷらを用意してくれていました。休憩時間に皆さんでめずらしい山菜を味わいます。

 すかんぽって知ってますか? 別名イタドリと呼ばれる山菜です。俗称で、どかな、どんぐい、ささぼこ、さしぼこ、さしばこ、と沢山の名前でよばれています。それだけ親しまれている山菜なのですね。田舎で幼少時代を送った方なら、若芽を生でかじって、酸っぱい汁を味わった経験があるのでは? 北軽にはこんなにおいしいものがたくさん生えているのですね。何があっても生きていけそうな気がしました・・・。

 後半は谷川俊太郎さんの二つの詩を、お二人が同時に朗読するという詩のセッションです。中学生の質問に対しての谷川さんの答え「詩は体で感じればいいんだよ」という言葉が実感として感じられました。やはり詩は音声にすると生きてくるものなのですね。谷川さんの詩は、小学生の頃、教科書で読んで以来、度々目にしてきたのですが、その作者がこんなに近くにいて、自作の詩を読んでくれているということにとても感動しました。





ゴールデンウィークが終わりました

毎年、バタバタと忙しく、またお祭りのように楽しい期間がゴールデンウィークです。
 
宿屋にとっては、半分眠っていた状態の冬から、この時を境に忙しくなってきます。
北軽井沢の春は遅いので、今、桜やこぶしの花が満開です。今年のゴールデンウィークは良いお天気に恵まれたので、一気に季節が移り変わりました。
 
4月中は枯れ草色だった草原が、生き生きとした緑にいきなり変わっているのです。今年は特に、4月になっても雪が降る日があったりで、冬の風景を見ている期間が長かったせいか、新芽の緑が目に飛び込んでくる感じがします。
 
世の中には、こんなに鮮やかな色があったんだなぁ、と四季のある日本に住んでいる事をありがたく感じます。
 
 
こいのぼり

 今年もたくさんの良いお客さんに恵まれて、忙しくも楽しい日々を過ごすことができました。
それにしても、サービス業が増えて、休日が分散されてきたとはいえ、やはり、人出の多いときは集中するものですねぇ。いつもはのんびりと買い物を楽しむパン屋さん「白銀亭」も3日の日はリゾート客で大にぎわいです。

去年お知り合いになった雑貨屋さんも「くりのきプラザ」に出店していました。ここのオーナーさんは、普段はインドで柔道を教えている面白い方です。迫力満点の大柄な体格をしていますが、笑顔がとても優しいのです。

もし、この時期に北軽井沢に来ることがあるならば、マイナスイオンもたくさん出ている早朝散歩を是非おすすめします。
早朝、外に出ると、四方八方から鳥の鳴き声につつまれてジャングルの中にでもいるようににぎやかですよ。

今年も野鳥の声で目覚める季節がやってきたんだなぁ、と思うと、時の流れを感じますね。




カッコウがやってきました

本日、カッコウがやってきました。
やはり、予想通りにカッコウの声は早朝、頭が半分眠っている時に、耳の奥で聞こえたのでした。

 今日はお客さんもいなくてのんびりなので、早朝散歩に行きます。

 早朝散歩は目と耳へのごちそうです。

 
緑

5月に入った頃は、新緑の鮮やかさにばかり目がいっていましたが、歩いてみると、たくさんの植物や鳥の種類が増えていてその変化に驚かされます。

今、全盛なのは、薄紫色のスミレです。所々にちいさな株をたくさんつけています。
そして、今年覚えたばかりのウグイスカグラ。ウグイスの鳴く時期に咲くのでこの名前がついたそうです。その語源の通り、北軽ではウグイスがしきりに鳴いています。
また、貴重と言われる野生のサクラソウもたくさん咲いていました。

 鳥では、鈴のような声のシジュウカラや、一段と声の通るカッコウ、その他、名前を知らないたくさんの鳥たち。ここでは、人間の方がめずらしいのか、鳥ものびのびしています。追いかけっこをしたり、日向をのんびりと歩いていたり。

木の根元から連続的な「ココココ」という音がしているので、近づいてみると、突然羽音がしました。見上げると、アカゲラというキツツキです。木を叩いて朝食の虫を探していたのでした。

冬の間は雪で閉ざされている小道も通れるようになっていました。
この周辺は、ほとんどの小道に付き添うように小さな水の流れがあります。
この湧き水は、今も活動中の浅間山からのプレゼントです。
山の上に降った雪は隙間の多い軽石の間を通り、様々なミネラルを溶かし込んだ水となって地下に蓄えられます。
浅間山は天然の浄水器のようなものです。それが豊富な湧き水となって土地を潤しているのです。

 朝の森というのは全てが軟らかいと感じます。木々の間を照らす光りも、小鳥たちの声も、小川の水の音も、何かが草の上を動いているカサカサというかすかな音も、みんな柔らかくて静かです。 

 散歩の終わりには、私が個人的に「アンの家」と呼んでいる別荘を眺めます。広い庭にはピンクのシャクナゲが満開で、タンポポの黄色、新緑の緑、別荘の落ち着いた赤ワイン色と白の縁取り。
初めてこの別荘を見たときに、「赤毛のアン」が書かれたプリンスエドワード島にはきっとこんな家があるのではないかと思いました。どの季節に来てもこの別荘は、遠い国の雰囲気を持っています。

カッコウもやってきて、夏鳥も勢揃いした初夏の北軽井沢。
早朝の緑のシャワーは、この季節だけの贅沢です。





リスとの遭遇

今日は朝からいいことがありました。
 
散歩をしようと、玄関をあけたら、目の前の栗の木に、リスがちょこんと座っているのです。
「おおっ」
私はしばらくハニワになってリスの様子をうかがうことにしました。
 
リス

実は、リスを見るのは冬の方が良いのです。なぜかというと、木々の葉っぱが落ちて見通しが良いので、リスの姿が発見しやすい。冬の間は、リスが毎回現れる場所と時間もほぼ決まっていて、朝食を食べているとかならずリスが横切ります。
それもなぜか同じ方向。
あまりにも毎日同じ距離で、同じ姿を発見するので、スタッフの間では、
「誰かがスイッチを押して、電動リスを動かしているのだ」
という噂がたったほどです。

よくリスが見られる冬でさえ、今日ほどの至近距離で出会ったことはありませんでした。
私とリスの空間は、距離にしてわずか3メートルほど。おまけに同じ目線です。

リスは子猫のような、「ふゅっ、ふゅっ」という鳴き声を発しながら、木の周りをくるくる回ったり、顔を洗ったり、時々お腹をかくような仕草をしています。

 私は、
「ネズミのしっぽにリスのような毛皮が生えていれば、リスと同じくらい人気者になったかもしれないのに」
と、常々思っていました。ネズミは、しっぽ以外は、けっこうかわいいじゃない、と思っていたのです。
しかし、リスとお近づきになって、前言は撤回いたします。

リスはめちゃくちゃかわいいです。
ネズミと比較するなんてもってのほかです。
卵形の顔には知性まで感じられ、すらりとのびた胴体も美しい。かわいさと美しさを同時に兼ね備えているなんて、素晴らしいというか、羨ましいというか。

ハニワ状態の私に気づいているのかいないのか、リスは、ずっとその栗の木から離れません。とうとう、森の大工さん・アカゲラと、普段はあまりお目にかからないキビタキまでやってきました。お腹のレモンイエローが、まぶしいくらいに鮮やかです。

「早起きは三文の得」とはよく言ったものです。

今日の散歩はドアから一歩出ただけで終わってしまいましたが、森の動物たちに囲まれて、幸せな一日のはじまりを迎えたのでした。


雑食性人間

自分の家の軒下に、蜂が巣を作ったらどうしますか?
 私だったら、フマキラーの殺虫剤片手に、即時強制立ち退きを要請します。

けれど、長野県から来た学生さんの家では、蜂は大歓迎なのだそうです。特に、おじいさんにとっては。
 
 ある日、その学生さんは、自分の家の軒下に、蜂が巣を作っているのを発見しました。そのままほっておいたら、だんだん大きくなってきます。
このままでは危険なんじゃないか、と思い始めた頃、突然、巣がなくなっていました。
蜂の巣はどうしたの? と、おじいさんに聞いたところ、

「食べた」

という返事が返ってきたそうです。
蜂

蜂を嫌うどころか、おじいさんにとっては、おいしいものが勝手に自分の家にやってきたと、嬉しいわけですね。
さすがは珍味の発達した長野県民です。
普通の蜂よりも、スズメバチなどは大変な美味で、蜂の子飯や、スズメバチ五平餅など、関連グッヅも充実しており、信州のおみやげ物の中でも高級品に入るものだそうです。

蜂の巣を見てよろこぶ人は、クマのプーさんか、長野県人くらいのものでしょうね。

 日本人は、イナゴも、ナマコも、蜂の子も、いろいろなものを食べますが、ベトナムにはもっとすごい食べ物があります。
それは、ヴィットロンというゆで卵なのですが、これが孵化直前の有精卵なのです。もう数日たてばヒヨコになってしまうという卵をゆでてスプーンで食べます。ヒヨコ一歩手前なだけあって、クチバシも羽も出来かかっている状態だそうです。

それだけ聞くと、「げげっ」と思いますが、これが実においしいらしいのです。まぁ、卵と鶏が一緒に入っているわけですから、これは携帯親子丼というようなものではないかと推測するのですが。
通になると、ヴットロン用の生卵を光りに透かして、ヒナの育ち具合によって自分好みの卵を見分ける達人までいるらしいのです。

 鶏肉も、卵も、普段食べているものなので、これだったら、私は案外食べられるのではないかと思います(あくまでも推測)

 けれど、これは絶対だめだろうと思う物が、東南アジア高地人の間で食べられています。
それは、食用の巨大グモ。
現地の市場では、土の中から掘り出したばかりのクモと、ご丁寧にも、魚醤と油で炒め煮にしてある、お総菜クモが売られているそうです。主婦の人が、

「今夜のおかずに200グラムちょうだい」

なんて、買っていくのでしょうか。
食糧難の時代が来たら、この人達には、まず勝てません。

 さて、私の住んでいる北軽井沢のきわどい食べ物といえば、まず、1才から1才半の雄牛の前足を縛り、横倒しにした状態で、脳みそを取り出します。

・・・と、いうような珍味は幸いありません。せいぜいイナゴの佃煮くらいでしょうか。

しかし、季節限定、地域限定できわどい食べ物がありました。うちの近くのスーパーで、一年の内、一週間ぐらいしか売りに出されていないキノコがあります。

商品名は「雑キノコ」

今取ってきたばかりのような、まだ泥のついた、いろいろな種類のキノコが、ケースに入って売られているのです。
この「雑」という文字に、危険な匂いがします。
どうも、一本くらい当たりのキノコが混じっていても不思議ではなさそうで、まだ購入に踏み切ったことはありません。

が、北軽井沢ネイティブのおじさま達の話を聞くと、だれでも2度3度は
「キノコに当たった武勇伝」
を持っているのです。
 彼等は、キノコに当たってどれだけ苦しんだかという話を、実に楽しそうに話します。

 キノコに当たるどころか、スーパーの「雑キノコ」にさえ疑いを持ってしまう私は、まだまだネイティブへの道は遠そうです。





北軽井沢のおばけ藤

北軽井沢は、5月あたりから、様々な花が咲き始めます。
今はちょうど、シャクナゲが終わりかけ、レンゲツツジに主役の場をゆずる季節です。
けれども、目立たないながらも今、ピークを迎えている花があります。
 
それは、藤の花です。
 
私が以前住んでいた埼玉県の春日部市には、道の両側に延々と続く藤棚がありました。ゴールデンウィークの頃になると、道全体が、上品な紫色に染まります。
今まで、整然とした藤ばかりを見ていたので、北軽井沢の藤と出会った時、そのギャップに驚きました。
 
かえる

 大木にからみつき、全体を覆い尽くすようにツルをのばすのが、北軽井沢の藤です。15メートルもある元の木が見えないくらいに花が咲き、季節はずれのクリスマスツリーのようにも見えます。とにかく、恐ろしいくらいに強力なのです。
 
 藤は、食べることもできます。紫色の花がまだ小さいうちに、薄く衣をつけてさっと揚げると藤の天ぷらです。薄紫色のまことに風流な季節物となります。酢の物と一緒におひたしにするというアレンジも可能です。

 さて、藤と言えば藤色、紫色ですね。紫色というのは、ちょっとミステリアスというか、謎めいた感じのする色です。
けれど、紫色の服を着こなして
「謎めいた雰囲気」
を出すには、かなりのセンスが必要なようです。
一歩間違えば、
「巣鴨とげぬき地蔵のおばあちゃんファッション」
になる危険と、常に隣り合わせです。

 どうして紫がミステリアスに感じるのでしょうか。
紫は赤と青の中間の色です。赤はエネルギーを外に発散する色で、青はエネルギーを内側に向かわせる色。紫はこの中間なので、両方のイメージを併せ持った色なのですね。

 血液型で言えば、二重人格AB型でしょうか。両方の相反するものを併せ持つというのが、AB型の人と同じく不可解なイメージを抱く原因なようです。

 で、どうしておばあちゃんは紫が好きか、ということも不思議ですね。
そういえば、私の所持品には、紫色の物はほとんどありません。

 一般に、幼稚園くらいの子供は原色を好むそうです。成長するにつれ、もっと淡い色を好むようになり、中学生くらいの大人になると、「原色+白」の淡い色に好みが広がってゆくそうです。
 そして、お年寄りになると渋い色、暗い色に好みが移ってゆきます。
 そう考えると、紫色というのは、人が好む色の最終段階と言えそうです。
まだ老成するにはほど遠い私が紫色と疎遠なのもそんな理由かもしれません。

 そう考えると、年を追う毎に、藤の花が
「私の好きな花ランキング」
の上位に上がっていきそうな予感がしますね。
北軽井沢のおばけ藤を愛する時が来るかもしれません。




今日は北軽マラソンでした

今日は、毎年恒例の北軽井沢マラソンがありました。

うちがオープンした4年前には、マラソンのお客様は数人でしたが、今年は、お客様の8割が、ランナーさんです。大会の参加者も年々増えていて、今年は3000人ほどの応募がありました。
 
コースに、アップダウンはあるものの、標高1200メートルの冷涼な空気の中を走るこの大会は、リピーターも多いそうです。
 
マラソン

 ランナーさんは、どことなく、ランナーさん特有の雰囲気を持っています。スウェットが似合って、健康的で、体脂肪も少なそうで、爽やか系の人が多いのです。

 うちの宿は、ランナーさんと縁があります。
 オープンして初めてのお客様は、盲目のランナーさんご夫婦でした。ダンナ様は、後にパラリンピックの代表選手になったほどの実力の持ち主で、ワンピースの似合う奥様は、声楽家というとても素敵なご夫婦でした。

 ランナーさんと話していると、何より、走ることを楽しんでいるのがうかがえます。記録を目指すより、人との出会いや、走ること自体をまるごと楽しもうという人が多く、肩の力がほどよく抜けているのです。

 彼らは、自分が走ってみて初めて、応援してくれる人の声援が、どれほど自分に力をくれるかを知ったと言います。だから、ランナーさんは、応援にも力が入ってしまうそうです。
 マラソンをはじめる前は、2時間のマラソン中継を見続けるなんて出来なかったと言います。
 が、自分がマラソンに関わるようになると、苦しそうな選手を心配したり、後半の追い上げに涙したり、2時間の中継の中に様々なドラマを見るようになるのだそうです。

彼らと話していると、私がマラソンに持っていた辛いイメージが変わってきます。こういうマラソンなら、私もやってみたいなぁと思えてくるのです。

 最近は変わったマラソン大会もあるそうです。
「銀座シャンラン」という大会は、はとバスツアーのコースをマラソンでめぐり、走り終わった後、銀座の金春湯という銭湯に入り、ライブハウス「月夜の仔猫」にシャンソンを聞きに行く。という何ともエンターテイメントなマラソン大会なのだそうです。
 マラソンとシャンソンをくっつけるなんて、全く考えても見なかった組み合わせですよね。

 他にも、走る前と走った後で体重を測定して、一番痩せた人が優勝というダイエットマラソン大会などもあるそうです。

 こういうユニークな大会が、マラソンファンを増やしているのかもしれませんね。

 さて数時間後、お客さん達が、北軽マラソンを終えて帰ってきました。
出発前の緊張は消え、すっきりした顔で、ますます「爽やか度」が上がっています。
「爽やか度測定器」というものがあるのなら、今のランナーさん達の測定値は、かなり高い値を示すに違いありません。

詩人であり作家の寺山修司が、悩みを相談しに来た青年に言った言葉があります。

「くよくよ悩んでいる間に、マラソンでもしなさい」

この言葉は、案外、悩める青年に送る一番の特効薬ではないか、と思いました。



おばあちゃんのヒッチハイク

田舎のバス停が好きです。
一日に数本しかバスがやってこない北軽井沢のような田舎のバス停には、おばあちゃんがよく似合います。
おばあちゃんは大抵、一人でベンチに腰掛けています。
田舎暮らしとはいえ、どこに行くにも車を使うと、いつの間にか

「時間を有効に使うこと」

ばかりにとらわれてしまいます。
ふと、通りがかったバス停で、そこだけ時間が止まったようなおばあちゃんを見ると、
「あ、そんなに急ぐことないじゃない」
と、我に返るのです。

バス



私がバス停に求める条件は3つあります。

まず第一は、華美に走らないバス停であること。
おばあちゃんが似合いそうな、ちょっと時代から取り残されたようなバス停がいいですね。

第二に、
木影になりそうな木があること。
自然と一体化しながらも、バス停のシンボル的な木があるとよろしいのです。

第三に、
木のベンチがあること。
プラスチックのベンチ、それも、一人づつしか座れない椅子のタイプなどは興ざめです。バス停のベンチは、あくまで地続きになっているスペースに、見知らぬ同士が腰掛けるところに何かが生まれる種があるのです。これから同じバスに乗って、つかの間の運命共同体となる仲間と、無言の連帯感を強める効果もあります。
欲を言えば、風雪にさらされた木のベンチがいいですね。老人会手作りの座布団が置いてあったりするのもまた風情があります。

うちの近くには、この3条件を満たす「私的お気に入りバス停」が二つあります。
一つは、「北軽井沢バス停」です。うちの最寄りで一番お世話になっているバス停なのですが、ここには、北軽井沢で一番最初に花をつける桜の木があります。

昔、このバス停は鉄道の「北軽井沢駅」でした。軽井沢から草津を結んで走っていた草軽鉄道の駅だったのです。
日本初のカラー映画「カルメン故郷に帰る」を見ると、当時の北軽井沢駅を見ることができます。東京でストリッパーをやっている主人公が、故郷に錦を飾るため、北軽井沢に帰ってくるというお話です。

バス停の隣にある、当時の駅舎も必見です。
最近、バス停に併設されていた事務所が取り壊され、昔の建物の壁が出て来ました。事務所が新しくなるのかと思ったら、いつまでたってもそのままです。広場となったバス停には、停留所の看板と、桜の木と、ベンチだけが取り残されました。
時々、おばあちゃんの隣に、ザックを背負った外国人が座っていることもあり、それもまた不思議な取り合わせで味わいがあります。

二つめのお気に入りバス停は、私がよく行くスーパー「サンエイ」の横にあります。
そこは、実に見事なネムノキがあるのです。ちょうど、バス停を守っているように枝を広げています。夏に咲くネムノキの花は細いピンク色の糸を束ねたような形をしていて、その開放的な様子は、ちょっと南国の路地裏のようです。
「眠の木」効果か、木の下でバスを待つ人は、大抵、うたた寝をしています。

このバス停から見る景色は一風変わっています。私は「嬬恋のカッパドキア」と勝手に呼んでいるのですが、切り立った崖が、浸食されて、所々に三角垂の岩屋を作り出しているのです。
トルコには、世界遺産にもなっている、カッパドキアという場所があります。大地の浸食によって、数々の三角錐の岩が残り、昔は、その中に穴を掘ってキリスト教徒が隠れ住んでいたそうです。

 嬬恋のカッパドキアは、1万6千年前に、過去最大規模の火砕流によって作られたそうです。その崖が、浸食されて現在に至っているわけですが、この巨大な崖が一瞬にしてこの場所に押し寄せて来たと思うと、そのエネルギーの大きさに呆然となります。

ネムノキの下で、そんなことを考えていると、日常のちょっとしたいざこざなどは、本当に小さいことのように思えてきます。

私は一度、サンエイの駐車場で、おばあちゃんに呼び止められたことがありました。

「お姉さん、こっち行くなら、乗せてもらえるとありがたいんだけど・・・」

おばあちゃんは、バスに乗って病院に来たのですが、帰りのバスがなかなか来ないのだといいます。

「私は一人暮らしだから、車運転する人もいないしね。バスが頼りだよ」

利用者も本数も少なくて、採算がとれるのだろうか? と思っていたバスでしたが、おばあちゃんにとっては、最後の重要な交通手段だったのでした。携帯電話の普及で、公衆電話が無くなってしまったように、便利さばかりが追求されると、一部の人にとっては、かえって不便を強いられることもたくさんあるのですね。

5分ほど行ったところで、おばあちゃんのミニヒッチハイクは終わりました。

「ありがとね、これ、バス代だから」

おばあちゃんは、ずっと握りしめていた小銭を、私の手が届かないダッシュボードの上に乗せました。

そんな、いいですよ、という私の言葉を笑顔で受け止めて、おばあちゃんは、ほたほたと歩いて行ってしまいました。

それ以来、ネムノキのバス停を通る度に、あのおばあちゃんの姿を探してしまいます。
ネムノキの花が咲く頃、またおばあちゃんに会えるような気がするのです。







エスプレッソな山

秋も深まる10月のある日、私は小浅間山に登っていました。
去年の9月に起こった浅間山の噴火の為、入山を禁じられていたこの山は、今年の6月にやっと禁を解かれたのです。

ここ最近、私は、美しすぎる紅葉の山ばかりを見てきました。豪華絢爛な風景にはいつも感嘆とため息の連続でしたが、私は一方で、廃墟や火山、砂漠といった荒れた風景、人を寄せ付けない風景も大好きなのです。

シンプルで力強い風景は、ストレートに人を揺さぶります。

小浅間1



きれいなデコレーションケーキばかり食べていると、たまには顔をしかめるぐらいに苦いエスプレッソが欲しくなるようで、人間は、どこまでいっても満たされない動物なんだなぁ、と思います。

その、エスプレッソな風景がここにありました。

小浅間山のふもとに立つと、西部劇の舞台に紛れ込んだ錯覚に陥ります。
この辺りの紅葉は、カラマツをはじめとする黄色の黄葉が主なのですが、カーキ色の木々が、乾いた荒野を思わせるのです。
土と岩ばかりの地面には、マリモのような草が所々に生え、浅間山の山頂に続く登山道は、野生馬が似合いそうな一本道。岩山をかすめて飛ぶタカは、鳥葬された死体をめがけて飛んでくるハゲタカにも見えます。

「マルボロの一本でも、持ってくれば良かった」

などと思ってみても、タバコが飲めない私が齧っているのは、荒野に不釣り合いのシュークリーム。ああ、全く野暮ったい。

荒野の風景には男性が似合います。
それも、ちょっとくたびれかけた、いえ、苦労を積み重ねてきた軌跡が見える中年の男性。
いつもは

「醜いものは写さなくてよろしい」

と、決して写真に写ろうとしないダンナさんの後ろ姿が、一番この風景に似合っています。最近増えてきた白髪も、荒れ地の中ではなかなか映えます。

「よく見ると、クレーターがたくさんあるね」

「昨年、噴火が起こった」という事実を知らなければ見落としてしまう地面の穴。銃撃戦の跡地のようです。
石がぶつかった衝撃で、地中の根が掘り出されていることと、色の違う土が外に出ていることでクレーターだということが分かります。


昨年の9月1日の夜、目前にそびえ立つ浅間山から、無数の火山弾がこの荒れ地にふりそそぎました。
場所によっては、火のついた石が低木を焼き、下界からはその明かりが蛍火のようにまたたいて見えました。
浅間山から5キロ離れた所にいても、ごうごうと唸る山鳴りが恐ろしく感じましたが、もし、噴火直後に小浅間山にいたら、天地創造のような、ものすごい光景が見られたのではないでしょうか。

雲一つ無い青空に向かって、山頂を目指します。
荒野の果てには、軽井沢を見下ろす岩の砦がありました。
積み石の間に、セロファンで包まれた花束がひとつ、誰かに捧げるように差し込まれています。平べったい石の上には、お供え物の代わりの浅間ベリーがひとつかみ載っていました。

名もない人の名もないお墓。

この花束をささげられた人、ささげた人に想いを馳せながら浅間山を見上げると、初冠雪の山頂から、冬の白いため息が聞こえたような気がしました。

小浅間山の下山口には、東大の地震研究所があります。昔は常駐の研究員がいたそうですが、今は、データを送るばかりの無人の研究所です。
この庭で、天明3年の大噴火が起こった時の地層を見ることができます。

小浅間2

浅間山は、過去に何度も噴火を繰り返してきました。その時間の流れが地層の縞に込められています。この地層に触れた高校生が、

「江戸時代にさわっちゃった・・・」

と、つぶやいていましたが、この土が、江戸時代と現代を橋渡ししているのだと思うと、三十路を越えた私でも不思議な感覚に襲われます。


浅間山も、キャベツを育てている黒土も、ダケカンバの巨木も、何十年、何百年も前からここにあって、そして、これからもあり続けるのでしょう。

百年前にも、百年後にも、きっと私と同じように浅間山を見上げる人がいて、元気をもらうのだろうな、と思うと、なんだか温かい気持ちになるのでした。


〒377-1524 群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原1506-12 北軽井沢ブルーベリーYGH

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